<αの行方> 第一話
<心の行方>
治安維持軍特別高等警察課、総合部隊長の役職を手に入れた。
女性としてその役職に就けたのは過去まだたった一人しかいない。
私で二人めになる。
なぜその役職にまで辿り着きたがったのかと問われれば、私は答えをためらう。
ただそうするべきだという思考しかなかったからだ。
他に何も望んでいたわけではないし、こんな事になるとは思わなかった。
軍部・近衛隊を総統括する地位に座り、あくせくと働きながら何が出来るのかというと、それは苦笑するだけの答えしか待っていないが、とにかく平和だった。そして私には幸せな事だった。
ある小さな事件が起るまでは。
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周辺十二ヶ国に囲まれた内陸の広い国がここ、バンリョウ。食糧難の進む周辺国を尻目に、前王、前々王の努力によって開発されてきた農業技術や科学技術での食料生産、緑化のおかげでこの国は大きく育ち、豊かになっていった。
国は周辺と同様の王制で、王家があり、王は世襲製となっている。
かつて大きなクーデターがあったりしていたが、それは国民にはさほど関係なかった。王を継ぐ者の争いだとかのレベルで、城の内で起り、終わった。かつて のクーデターの指揮をとったのは初の女性特高課部隊長、衣遠=マグドナーだったが、そこについては真偽に関わらず色々な伝説や話が多い。聡明な女性だった との話だから、王家の事に関して他の者には解らないドラマがあったのだろうと、今はほとんど神話化されている。特高課部隊長が治めている治安維持軍・近衛 隊を引き連れて王家に喧嘩を吹っかけた、それは大変な事だから。
特別高等警察課として指揮しなければならないのは治安維持軍隊と、王や城の治安維持にあたる近衛隊。どちらもその職に就くのは大変な難関であり、また高 給職でもある。命を懸ける事を前提とする職であるから。また、王を守る、国民を守る役職である。特に近衛隊は厳しい。王を守り、国民の前で戦う機会もない とは言えないため、戦う際にも見栄えが求められる。容姿も重要なポイントであり、家柄は問わないものの、幼少からそのために育てられる子供も後を絶たず、 金銭面でも充実していないとなれないといわれていたりもするから。
近衛隊に容姿端麗が条件とされるのは、歪んだ王制のためでもある。
王という地位は、例えば一政治機関に過ぎない。それを神格化させているだけの事である。世襲制とは言っても甘やかしはせず、後を継ぐ者には学者としてやっていけるだけの教育が施される。だから王として国を治めていく事が出来ていて、外交もこなしていける。
もともと王制がはじまったのは、荒れに荒れた国の中から、治める者が十年ぶりに出てきた時、その者が王制をとったから。それ以前に王は存在しなかったか ら、王を畏れ崇める者はおらず、政治として成り立つのが難しかった。かといって治安の乱れた中を治めるのは民主制ではなお成り立ち難く、王となった者は自 分の地位を神格化するしか術を持たなかった。そこから始ったものだから、世襲制となり、神格化を続けていくしかなかった。
そして今がある。
私の役職はその神格化の一端を担い、国と国民を守る仕事である。
王族の次に王に近い。
この国の、「鍵」の一部である。
国の鍵であるからこそ、衣遠=マグドナーのクーデターは成功したと言っていいだろう。それほど重要なポストで、そして、王家から見れば敵にしたくない存在である。敵にすれば、軍隊丸ごと敵になってしまうから。
/*****<< 補足説明 END >>*****/
事件を起こしたのは、王女だった。
細い女が武装して、王族――つまり身内――に対して銃を向けた。
ただの傷害未遂事件として片付けられるはずだった。
私はさほどそれに関わらなくて良いはずだった。治安維持軍警察部で充分対応でき得るものだった。小さな、小さな事件のはず。
王女が拘束されてから数日後。
王から私に呼出しがかかった。
月に二、三度は呼ばれて城に出向く事があるため、特別な事とは思わなかった。
首都に向かう。
治安維持軍の軍本部は首都、城の建物から四十キロ離れた場所に位置していたが、近衛隊本部と特別高等課本部の建物は城から三キロと離れていなかった。
エレベーターさえない古めかしい建物。城は古代西洋の雰囲気を持つ。装飾は丁寧で、掃除にかかる費用が馬鹿にならないけれど、美しい。私はこの建物を気に入っている。
王と部隊長が会うのはもう「普通」な事なので、謁見室など使いはしない。王の私室におじゃまするか、応接室で会う。
今日は私室に呼ばれていた。
王の部屋の前に行くと、ドアの外で近衛兵二人が立っていた。漆黒の軍服に、銀のボタンが映える。この美しさも気に入っている。
私を見つけると、近衛兵二人は軽く敬礼して、ほっとしたように笑んだ。
「どうした。王につかなくていいのか」
普段は王付の近衛兵は室内に控えているはずである。それがドアの外に追い出されている。言うと、二人は頷き、
「出ているように言われました」
珍しい事だ。王が人払いをしているとは。王を守るという役目において、若い近衛兵は精鋭を付けても役不足。王の方が武道に長けている。それでも万が一のためについていてもらわなくてはならない。王も周りもそれは承知で、そういう決め事にもなっている。
「じゃあ、ここで控えてなきゃしょうがないよなぁ」
言うと、ええ、と二人は苦笑した。
軽くドアをノックすると、返事はなかった。
声を掛けながらドアを開けると、王は部屋の隅の机にもたれて立っていた。
「由利菜・サイダルです」
入り口で言うと、ゆっくり振り返り、左肩越しに顔を見せた。日に焼け傷んでやや茶色がかった無造作に伸びた黒髪と、茶色の瞳と、白い肌。歴代の王は全て美しかったが、彼も例外ではない。眉から鼻にかけての曲線が神秘的なほどで。
「待ってた」
ぽつり、そう言うとやっと体をこちらに向けた。私は後ろ手にドアを閉め、
「どうかしました? 元気ないですねぇ」
「うん。ちょっと面倒な事があってね」
「面倒な事…」
「うん。カナラの事で」
カナラ、とは先日捕まった王女の事。三十三歳の王の娘。王妃は去年から隣国・セツレイにて食料難を解決すべく手伝いに出ている。
「正直、疲れた。後は君に頼む」
話が出来る距離まで近づいた私に、そう王は言った。
「…何がどうしたんですか」
「城内の水がおかしいってことまではつきとめたんだけど。どこにその原因があるかまではわかってない」
「え?」
「城の中にいる者の言動が微妙に変だった。俺は昨日一日たまたま何も食べる暇がなかったからこの中で作られたものに手をつけずに済んで、気付けたと思うんだけど。カナラが何か薬品を作って混ぜたんじゃないかと思う。ごく微量ずつ摂取されるように」
「摂取って…」
「城の連中を皆殺しにするつもりなんじゃないのかな」
「そんな」
笑い飛ばそうとしたが、王は気力を失った目で私を見つめていて、それを許さなかった。
「この城の水で魚は生きられない。狂った泳ぎをする」
「まさか」
「貯水タンクには何もなかった。仕掛けは水道管のどこかにあるんだろうと思う」
「何で彼女がそんなことを!」
と、小声でだが、叫ばずにいられなかった。王は苦く笑って、
「何でだろうな」
と呟いた。そして、
「内密に頼めるか?」
私は無言で頷いた。そして、
「彼女に、ばれたりしていない?」
王は首を振った。
「それはない。何もしていないし、人の心を覗く事は出来ない」
言ってそっと私の手を取った。私を見つめる。王のつややかな瞳の光。好きという気持ちと、それに纏わりつく罪悪感。たまらず視線を下げる。王は軽くため息を吐き、そっと手を開放してくれる。
「すまない」
私は横に頭を振る。
「切っちゃったのか」
笑顔を作って私の髪を指差す。長い方がどちらかというと好き、と言っていた王。ささやかな「王離れ」のしるしのつもりだった。長かった髪は、肩に触るか触らないかくらいまで切ってしまった。
「もう、行きます」
私も笑顔を作って軽くお辞儀をすると、そこから立ち去った。早足に部屋を出て、廊下を抜けて。王に触れられた指先を手のひらに押し込んで、苦しい気持ちも押し込んで。もう少し、触れていて欲しかった。今抱きすくめられていたら、タガが外れていたかもしれない――。
自分からピリオドを打っておきながら。――ピリオドと、言えるほどではないかもしれないけれど。
王とのはっきりとした関係を絶ったのは一年前だった。
部隊長になって、初めて王に会って。それから一年も経ってから始ってしまった関係は、続けてはいけないもの。始った事自体が間違いで。単なる「関係」な らまだこんなに苦しみはしないで済んだのに。お互いに、それ以上の感情があったからイケナイのだ。こんなに深く想った人はいない――。
内密に、と言われた調査は私自身が動くわけにいかない。目立つからだ。
内密に、の範囲内で動く事の多い近衛兵は二人いる。その一人に依頼して、私はカナラに会いに行った。
王家の、ともすると後を継いで王になるかもしれない王女は、特別高等課のビルの地下二階に幽閉されている。
事情聴取と身柄の拘束のためだが。ただの傷害未遂に、こんな拘束は不必要なのだが。
「黙秘?」
とおうむ返しに聞き返すと、カナラについていた近衛兵はため息まじりに頷いた。
「何を聞いても答えません」
「そうか…」
私は革の手袋をはめ、背中側の腰に短剣を持ち、短いながら髪を結い、カナラのいる部屋に入った。中にいた兵は全てドアの外で待たせ、カナラと二人の空間を作った。
カナラはまだ十三。王族のカリキュラムによる教育を受けているので、私でも知識のうえではやっと同等というレベルかもしれない。後一年もすれば太刀打ちできなくなるだろう。
あの美しい王族の――いや、王と王妃の娘だけあって、隙のない容姿をしている。華奢な体ながら強いオーラが有り、曲がりなりにも王族だと思い知らされる。
拘束服で両手が自由にならないカナラは椅子に腰掛けさせられていた。目の前に小さなテーブルが置かれていて、カナラはその足にこつんこつんと爪先をぶつけていた。
カナラの正面にテーブルを挟んで座ると、カナラはちらりと視線をよこして、敵意むき出しの視線を作った。
「見るのはまだ三度目だったと思うけど」
私が言うと、何か言いかけようと口を開いたが、すぐに一文字につぐんでしまった。王族と言えども、私の地位に上がった以上は対等で良いという事になっている。私はカナラや王子には敬語を使わない。それは暗黙の了解という形で、本人も承知している。
「無理に黙秘を続ける事はないと思う。言いたい事があればどうぞ」
ぎらり、と美しい目と眉のそこから睨み付けられる。なんとも言えない迫力がある。
「私が傷害未遂くらいで出てこない事は解ってもらえる?」
カナラの視線の色が、少し変わった。
「叫ぶとかわめくとか黙り込むとか、そういう子供っぽい事はやめない?」
言うと、一度迷うように視線が泳いだが、すぐにまた私を捕らえ、そして頷いた。
「素直ね」
その言葉にカナラは薄く笑い、
「そうでもないわ」
と返した。喋り始めた事に少しほっとして、私はいつでも短剣に手が伸ばせるように張り詰めていた神経を少しゆるめた。
「どうして事件を起こしたのかとか、そういう事を聞いても答えてくれないんでしょうね」
「答えて何になるの?」
「それはあなたしか知らないわ。答えて何になり得るか、答えた方が損か、得か。その判断を、訳を知らない私が出来る?」
悔しそうに少し唇に歯を立てていた。
「言っても何にもならないわ」
「そう。なら、この事件も無意味ね」
「無意味じゃないわ!」
「無意味よ。事件を起こしたそれなりの訳があったとして、誰もその意を理解できないならただの悪戯よ」
「そんな低俗な事はしないわ!」
「してるわ」
きっぱりと言い放つと、カナラは眉をひそめて私を見つめた。どう戦ってやろうかとうかがっている。
「例えば何百人も殺したとして、あなたが例えば誰かに対する反抗意識でやったとして…でもその誰かがそれに気付かなければ、無意味な大量殺人だわ。愉快犯ね。そんなふうにとれないこともないでしょ? それとも本当に愉快犯なの?」
「私はそんな事は言ってないわ。あなたに言っても何にもならない、って言ってるのよ」
私は首を振ってみせた。
「私に言わずに、誰に言うの? 他の近衛兵に言って、何かになる? 拘束されてるその立場で、言いたい誰かにどうやって言うわけ? 近衛兵に言っても、そ ういう動機があったと紙に書かれるだけよ。せっかく総合部隊長が直々に来てるんだから、それを利用しない手はないでしょう? どうにかしてやるって来てる んだから」
…こういう人間と、喧嘩をするのは大嫌いだ。彼女は睨んで、言う。
「本人に直接言わなければ意味ないのよ!」
「黙っている限りここからまだまだ出られないわよ。どうする気? もう用意していた犯罪も無理よ」
気付いたのか、彼女は必死にこらえているが、涙を流す寸前だった。聡明な彼女が、普通の子供みたいに駄々をこねている。意地を張って、気を張って。ここま でムチャをやらかすからにはもっと狂暴になっているかと手袋なんかを用意したけれど、全く逆だったようだ。弱くなって、だけど虚勢を張ってやっとここまで 頑張っている程度だ。
「いったいどうしたの」
言って彼女の長い髪に触れると、潤んだ瞳を向けてこう呟いた。
「誰にも言わない?」
それから数時間後、近衛兵の手によって、浄水機に仕掛けられていた彼女の作った低濃度の薬は取り除かれた。サボテンの一種から採取した麻薬成分を精製したものらしい。だが、死に至らしめられるようなものではなかった。
彼女の仕掛けた麻薬については依頼通り内密に済ませた。
彼女の秘密も、私は誰にも漏らさない事にした。王、にも。
「カナラは明日釈放されます」
王の私室にてそう一言報告すると、王はついていた近衛兵を部屋の外に出るよう指示した。兵は素早く部屋を去る。向かい合う事になってしまった。
「何か、カナラから聞けたか?」
「ええ。でも、誰にも言わないって約束してしまいました」
笑ってそう言ってみると、王はふっと目を細めた。一つ一つの表情にも、まだどきりとする自分がイヤだ。
「力になれる事なら言って欲しいけど」
「彼女の名誉に関わりますから。公にするわけにいかないんです」
「俺にも言えないのか?」
「言えないからああいう思いつめた行動に出てしまったんですよ」
「何で君には言うんだ」
「私が彼女と同性で、しかも身内じゃない、他人だから言えたんです」
これでさすがに王は薄々察したらしく、小さく頷くと、
「…君に任せるよ」
落胆した表情でそう言った。
「なるべく、彼女の気が済むように力を入れるつもり。忙しくなるわ」
「すまない」
「いいのよ。皆殺しにしたかった彼女の気持ち、わかるから」
軽く笑ってそう言うと、王も苦笑した。
「俺が皆殺しにしてやりたいよ」
「そうね」
王のすねたような言い方が可笑しかった。それに笑った私を、嬉しそうに見つめていた。
「なに?」
視線の意味を問うと、笑顔で王は首を振った。
「なんでもないよ」
言って、床に視線を流す。まだ、私の事を好きでいてくれているんだろうか。私は、好きでいるから未練がましく顔をあわせている。良くない事と、解っていても。
「君の力に、なれればいいんだけど」
「ありがとう」
「今度、カナラとの夕食の席に招待するよ」
私はそれには笑みを返すだけにした。
カナラの殺したかった「敵」を見つけるのは難しかった。まだ子供とはいえ、カナラの美貌にまいってしまいそうなオトコなど、ごろごろいるからだ。
彼女を辱めた何人かを、ごく少ない手がかりで見つけるのは難しい事だとわかっていた。ただ、彼女が身内に銃を向けた事からもわかるが、どうやら聞き覚えのある声だとか、王女に手出しした事から考えて、城内にいる身内が怪しい。
探ってみてもやはりそうそう手がかりなどないもの。困難な事だった。だがダイレクトに彼女に何かしたかと聞きまわるわけにはいかず。彼女には悔しい思いをさせていた。
数日後、彼女の部屋を訪ねた。
彼女は普段通りの生活をし始めていて、明るさを取り戻してきてはいた。
事情を話すと表情を曇らせはしたが、もうどうでも良い事だとも口にした。
「済んだ事。言っても仕方ないわ」
「でも、ばれなかったと思ってまた、ってことも」
「あなたがついていてくれない? だめかしら」
彼女の瞳に、すぐにYESと返事してあげたかった。けれど。
「私は近衛兵ほど強くないわ」
「そう、ね。忙しいもんね」
「違う、そういう事じゃなくて。あなたを守れる自信がないの」
「他にもいつもの近衛兵さんもいるわよね?」
彼女が気にするので、近衛兵は部屋の外にいつもいた。近衛兵はほとんどが男性で、少ない女性の近衛兵は王妃について行っていた。
部屋の中にいるうちに、口をふさがれてはもうどうしようもないという状況があったのだ。ただ、声さえ上げられればドアの外にいる近衛兵が助けに行けたというのに。
「わかった。犯人が見つけられない以上、秘密を聞いちゃった責任は取らなくちゃね」
彼女は満面の笑みでありがとうと言ったが、私は、落ち込んでいた。
なるべく城に居たくなかったからだ。
王と、顔を会わせる機会が増えてしまう。
王との関係を持ってしまったのはずみだった。
ただ、お互いどんどん惹かれていってしまった。
だけれど、王女や王妃を傷つけたくないという思いに苦しんだ。そして、うぬぼれと取られるかもしれないが、私を上回る、王の気持ち。
王と居たくて仕方がないのに、だけれども――王妃が気にかかる。王には、なるべく王妃と居てくれと言ってしまい、私の言葉に傷ついて王は泣いた。私と居 たい、と泣いた。そして、王妃の事を気にするのは俺だけでいい、お前が気にするのは間違っている、と。悪いのは俺なんだ、と。もちろん私も同罪だと思うそ のままをを伝えるが、王はその思いを拒む。やめようと、何度か言った。好きだけど、やめようと。苦しいのは、王妃がかわいそうだから。私が同じ立場だった らと思うと――。そう言うと、王は、
「確かに俺はお前を愛する資格などないかもしれないけれど、でも、自分から好きになったのも、こんなに好きになったのも初めてなんだ」
このまま私が自分の罪悪感に応えていけば、王をも傷つける事になると思った。自分だけ楽になろうとしていたんだろう。このままずるずる傷つけるよりは――最低な私でいるよりは。
そう思って選んだのが、ピリオド、だった。
王は、黙って、頷いてくれた。
幸い誰にも気付かれずに始まり、終わる事が出来た。
でも、好きな気持ちは変わらない。見るたびに、苦しいだけだ。
これも罰があたったのかなと諦めて、その日からこっそり王女の脇で眠った。
だが毎日何事もなく過ぎていき、犯人が捕まる事もなかった。やはり私がいるのを知る事が出来る城住みの王族の誰かだったんだろう。
カナラにつき始めてから、朝食や夕食を共に取る事が多くなり、自然と王とも顔を会わせた。私たちはごく何もないように過ごしたし、カナラの手前、二人きりになる時があっても、互いにそんな態度は取らなかった。
ただ、私は一人で苦しかった。王がどう思っているのかわからないけれど。
カナラについてから二十日ほど経った。
その日は翌日カナラが貴族との食事会に出る予定だったので、作法について学び直すと教師と別棟に食事をに行ってしまい、食事は王と二人。それと、近衛兵数人、食事係三人がいた。
ふと、王は食事の合間にこう話を出した。
「部隊長、治安維持軍のR2、どうなってる」
最高レベルの機密事項だった。私はびくりと椅子から跳ね上がり、
「王! ここですべき話題ではありません!」
「ああ、すまない。誰か、筆談用の道具と――。みんな下がってくれ」
水に溶ける紙と、数秒で文字の消えていくペンと。それが広いテーブルに置かれ、近衛兵や食事係は部屋を出て行った。
私はペンをとると、R2計画と呼ばれる極悪な対人兵器に対抗する兵器の開発状況について走り書きして行った。どんどん消えて行く文字とどんどん書込まれる文字を王はす、す、と目で追って行く。
「以上です」
書き終わるとすぐに私は紙を破り、テーブルにあった赤ワインの中に紙を沈めていった。さわさわと泡を出しながら紙は溶けていく。
それを見つめている私に、ぽつりと、
「一年前に、戻りたい」
とだけ言った。
「王…」
「駄目かな、駄目だな。ごめん」
苦笑して、王は言う。
「王」
私の表情を見て、王は真顔で、口だけ動かして、
「やっぱり、苦しめるよな。ごめん」
「…王」
「うん、悪い事はだめだな。ごめん、ごめん!」
うろたえるようにしてそう早口に言った。私はそのままくるりと後ろを向き、食堂から廊下に抜けるドアに向かった。ドアノブに手をかける、その刹那にドアが引き開けられた。ドアの向こうにいたのはカナラだった。
「…なんで泣いてるの?」
攻めるような口調。私を強い眼で見る。
「なんでもないの」
急いで涙をぬぐうが、カナラは睨み付けたまま。
「二人きりになって、何やってたわけ? 何を話したの? 父上と何をしてるの!?」
その言葉を聞いて、さっと血の気が引いた。
気付いていたんだ。カナラは気付いていて、私たちがぼろを出すのを待っていたんだ。
この子を傷付けていた。私の存在が、この子を苦しめた…。
「もしかして、あの秘密って、嘘なの」
カナラは答えず、私の腕を掴んだ。
「答えて! 何をしてたの!」
がくがくを私を揺するカナラを、王がそっと止めた。まっすぐな視線をカナラに向けて、カナラをじっと見つめて、
「R2という兵器の開発状況について質問していたんだ。機密事項だから、人払いをして、筆談をしていた。紙はワインの中だ。糊化しているから見てごらん。その不備について私がひどく言って泣かせてしまったんだ。それだけだよ」
淡々とした冷静な口調でそう述べた。こんな時でも、王の滑らかな首筋に目を奪われていた。
静かに咎められたカナラはゆっくり頷き、しかし私にはきつい視線を向けた。
「いつか明らかにしてあげる」
そう言うと、カナラは王を連れてぷいと食堂を出て行った。
…好きだというのは、こんなにいけないことか。
カナラが気付き始めたのは、私たちが関係を終わらせる寸前だった。それから確かめてやろうと動いたが、私たちがそれらしい動きを全くしなくなってしまったため、苛立った。そして何かつかめないかと、事件を起こし、嘘をつき、私と王を近づけた、というようだった。
王がカナラに何と弁明していたか、あるいは全て話したのか、わからない。聞いていない。
カナラが気付いていたという事は、王妃も気付いていたかもしれない。
苦しくて、壊れそうだった。
でも私以上に、カナラは辛かったに違いない。
せっかく手に入れた部隊長の座からの、退職を考えていた。
全く表には出ていないものの、カナラ、王妃、そして王に対する申し訳なさ。好きだとかなんとか、そんな事はもう意味をなさなかった。
こんな結果になる事ぐらいわかっていたはずなのに。
何か有るとすれば、これ以上に悲惨な事を想定していたはずなのに。
あの人と居たかった、それだけなんだけど。
とにかく城から離れたい。
1・えんど。
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